2013/08/07 (Wed) 09:20

「性善説」と「性悪説」

学校の倫理の勉強で古代中国の思想を学んでいるのですが、私の教科書では春秋戦国時代の諸子百家から生まれた思想家の中で「儒家」と「道家」に焦点を当てて取り上げているようです。

 儒家とは現代でも名が広く知られている孔子の思想を元とするもので、後世にも大きい影響を与えているようです。
 孔子は法で民衆を従えるのではなく、為政者の徳を広め、それによって民衆を治める徳治主義を理想としていました。
それは心の持ち方としての「仁」と、人に見える形の「礼」の2つによって体現されるとされています。
仁は人を愛する心である。それは親子・兄弟に対して自然に生まれる親愛の気持ちです。これを孝悌と呼びますが、この気持ちを他人に対しても持つことを理想としています。
礼は仁が心の持ち方であるのに対し、それを具体的に表現するものとしたようです。

 さて本題ですが、孔子の教えを継承した二人の思想家がいます。孟子と荀子です。しかしこの二人は同じ孔子の教えを継承したにも関わらず、一見すると相反した思想を持っていました。
 孟子は仁の教えを継承し、人間には生まれながら、惻隠、羞悪、辞譲、是非の四端の心が備わっているとして「性善説」を唱えました。
 一方荀子は、礼の教えを継承しながらも、人間には生まれつき利益を求める一面があり、これが争いごとを生んだり、憎むことや裏切ることを生むとして悪と唱えました。これを「性悪説」と言います。

 この2つの説に関して、学校の課題に「人間の本質は善であるか悪であるか考えを述べよ」というものがありました。この問いに対して私は何か間違ってるような気がしました。孟子と荀子はどちらも人間の本質について話していて、一見相反した事を言ってるように見えるけども、これはただ見ている視点が違うだけであって人間には善と悪どちらも同時に存在している事に違いないと思うわけです。
 さらに私は、生物の本能的な欲求部分に善だ悪だのと区別するのはなんだか違うなあと思ったわけです。
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