2018/12/14 (Fri) 17:17

プログラミングを学ぼうと思っている。その理由

プログラミングの勉強をしてます
私は今、大学を休学している期間を利用してプログラミングの勉強をしています。
経緯は話せば長くなるので今回は割愛しますが、簡単に言えば、将来の事を考えて何か技能を身に着けたいと思ったときに一番抵抗なく、かつ意欲が持てたものがプログラミングだったのです。

でも、何度も挫折してる
とは言え、実をいうと私は今まで何度もプログラミングに手を出しては挫折しています(一番最初は小学生の頃…)。挫折の原因として挙げられるのは…
  • (目的意識の欠如)プログラミングを勉強して何がしたいのかが曖昧だった
  • (情報不足)どうやって学べばいいのか / 何から学べばいいのか分からなかった
  • (能力不足)英語が読めなかった / そもそも環境構築とか難しすぎ
  • (環境)集中できる環境がなかった / 周囲の手助けがなかった / 他の事を優先しなければならなかった
挙げればキリがないでしょうがこんなところでしょうか。
とにかく、今までは「できたら楽しそうだな」とか「便利そうだな」とかそんな生半可な気持ちでした。難しい部分に差し掛かると、ろくに調べることもせずに諦めて別の楽しい事に時間を費やしてしまっていました。英語の勉強も、痩せる為のダイエットも、生半可な気持ちではなかなか成就しないのは自明です。努力があって初めて結果がついてくるものです。過去の私は大した努力をせずに挫折してきました。もちろん、今でも私に逃げ癖はあります。でも、今回は前よりも本気です。まあ、それだけ切迫しているんです。

休学中という追い込まれた状況で
冒頭で私は今大学を休学していると書きました。私の学部は文系の学部でした。特に興味があるかというと微妙でした。入学したのは「親族の推薦」と「大学に在籍しているという社会的な安心感」が理由でした。今までの私は周囲の人に言われるように、嫌われないようにして生きてきました。入学してからも私はいい人であり続けました。大学で学び、視野を広げていく中で、自ら考え、自ら行動していく能力の必要性を痛感した私は、同時に自分にその能力が圧倒的に欠けている事に気が付きます。自分の感情を抑え、他人に意見を肯定し、周囲に迎合してしか生きてこれなかった私は、学年が進むにつれ次第に自分に対して空虚感を抱くようになります。そして鬱になり体調を壊し、学校に行けなくなり、休学することにしました。(展開が早い)

途中から気づいていたことは一つ、「この大学にいたくない」
本当におかしな話ですが、周囲に進められて入ったこの大学に対して「入れて嬉しい」「勉強したい」「きっと勉強していれば何かの役に立つ」と信じ込んで過ごしていました。途中、体調、人間関係などにおいて様々な問題があり、自分の感情を抑圧している自分に気づいて、自分は本当はどう感じているかに意識を向けるようにしました。「自分は何をやっていたのだろう?」「本当は何をしたいのだろう?」。その途端、自分の中の「私はこんな大学いたくない」という気持ちが噴出しました。あれです、エロ漫画でたまによくある洗脳されて自ら男性と行為に及ぶ女の子が途中で我に返っちゃって自分の置かれている状況に絶望するみたいな感じです。そういう展開好きです。

自分の力で生きていくために
幸い、私は親からのお金で大学に通わせてもらっています。その事は有難いと思っています。ですが、残念ながらもう大学に行きたくありません。親は私の将来の為に(そして自らの安心の為に)お金を出してくれています。親の意向に背き始めた私に、この先どこまでお金を出してくれるか分かりません。そんな不確定要素、宛にできません。私はこの休学期間が終わった後、自分の力でお金を手にして生きていく事が必要になるでしょう。

プログラミングを学ぼう
私は、幼い頃から長い時間PCに触れてきました。その用途のほとんどはPCゲームで、培った能力は多少のタイピング速度ぐらいでしょうか。大した能力はありません。ただし、パソコンに対する抵抗感は0です!
私はパソコンが大好きです。機械が大好きです。なんで私は今までそれに気が付かなかったのでしょう?プログラミングがパソコンの世界を大きく広げてくれるのは明白なる事実で、さらにプログラミングができるという能力は今後社会で生きていく中で大きな武器になると確信しています!

直近の目標は「プログラミングを学んで手に職を」
大学を続けるにしろ、辞めるにしろ、お金が問題になってきます。
プログラミングを学んでお金に繋げることができるか、挑戦しようと思います。
好きなことを仕事にしないほうがいいとはいいますが、まあうまく行かなかったらその時考えましょう。お金がもらえる事のメリットと吊り合わせてみたら大したことではないかもしれません。
うまく行かなかったらその時考えましょう。

まずは、一歩ずつ進んでみようと思います
trackback*0 | comment*0 | 雑記
2018/10/06 (Sat) 13:54

Bluetoothアダプタ買った

http://amzn.asia/d/6cIL1i7

これ買った。

Bluetoothって超便利。
ワイヤレスって革新的。

ヘッドフォンやらイヤフォンを無線にしたら音楽聴きながら歩き回れる。
素敵すぎちゃう
trackback*0 | comment*0 | 雑記
2018/10/06 (Sat) 01:59

ああ

  • 反抗
  • 自己主張
  • 否定
  • 拒否

私にはこれらの行動をしてもよいという認識がなかった。

少しでも弱みや欠点を見せると見下され、侮蔑されるという恐怖があった。
私は、生産性のない人間であり、それを生かしていてくれる親には何をしても頭が上がらないと思っていた。
私は、未来がない人間だからこそ、未来のある他者へ献身しなければならないという強迫観念があった。
そんな私を好くような人にはより一層の献身をしなければならないと感じた。
幸せだと感じる事は自分には大それた事で、それを与えてくれる人に私は何の報いもできないが故、幸せを感じる事は同時に罪の意識も感じさせた。

私は上記のような歪んだ感覚を生きる上でいつからか身につけ、無意識の中で飼っていた。
これらは私の自己肯定感を蝕み続けた。
無意識が故に、私の無力感は意識されない中で増幅していった。
私は自己を守るために合理化や逃避など自己防衛を行った。
だが結果としてそれらは一時しのぎに過ぎず、結果的に自責感情は私を侵食し続けた。

私には一人で生きる能力がなかった。

誰かの望むように行動することしかできなくなっていた。
私は主人がいなければ生きていけない奴隷だった。
そして奴隷だということにすら気づかない幸せな奴隷だったのだ。

その事に気づき始めるのは大学に入ってからだ。
学業と部活を両立しなければいけない葛藤に苦しむ中で、その判断の中に自分が介在していないことに薄っすらと気づきはじめた。
「何故自分はこれをしているのか?」
その疑問の答えが見つかるまでには数年の歳月がかかることになる。
その間私は丸で先の見えない真っ暗なトンネルを自分がどこに進んでいるかも分からず進むしかなかったのである。
その間に私は数々の重荷を背負うことになってしまった。
その身にそぐわない重荷をどうすることもできず潰れる私を、他人も、そして私自身さえも哀れに思っていたに違いない。

そんなトンネルで何かに打つかったのは、3年目の5月だった。
ある日、女友達二人と友達の家でお酒を飲みながら歓談していたときのことだ。
この二人の内の片方は、当時私が想いを寄せるというのに近い友達であった。
既に自尊心がズタボロであった私に何かと世話を焼いてくれる女性であった為に、ある種の勘違いを起こしていたのだと思うが、少なくとも当時は、好意を持っていたといってよい。
兎にも角にも問題はこの女性が途中で酔った勢いで、近所の後輩の男性の部屋に突入し、そのまま一晩帰ってこなかったのだ。
何が起こったのかマジで分かんなかった。私は混乱しつつ色々な感情が頭の中で渦を巻いた。
貞操観念が云々、問い詰めるか否か云々、何かあったら誰が責任を取るんだ云々、責めるのは誰だ云々…。
心配と怒りで気が気じゃなかった。彼らに怒りたかった。怒鳴りたかった。自分がどれだけ心配したかを訴えたかった。
一晩中、私は夜の住宅街をウロウロ歩いていた。下手したら咎められるのは俺だろう。
そうして、翌朝になった。結局、私は何もしなかった。できなかった。
なぜなら、私がやろうとしていたのは、誰のためでなく自分の為に行動するということだったから。
それをしようとするのに得体の知れない恐怖があった。抗えない何かが私を抑圧しようとしているのを感じた。
「私は、何故か自分の気持ちのままに動くことができない」
この時、私は途轍もない不甲斐なさと無力感に苛まれつつも暗闇のトンネルで壁に打つかったのだ。
それは私が今まで歩いていた真っ暗なトンネルにごく微かな光をもたらす出来事であった。
trackback*0 | comment*0 | 雑記
2018/10/05 (Fri) 22:09

「可愛い子には旅をさせよ」

と言うけれど、

私はどこまでも自分が可愛くて、諦めきれなかったので

自分を旅立たせようと思う

色んな世界に足を踏み出そうではないか。

ところで、何故、「可愛い子には旅をさせよ」なのだろうか。

外の世界を知らず可愛い可愛いと持て囃されて家の中で苦労なく育った子は、親なき後に大きな苦労を抱えることになるだろうから

それなら先に外に出すことで、色んな苦労を若いうちから経験することで心身共に鍛えられ、広い視野や高い志を持つ人間にしてやることこそが親の務めではないかという親に対しての戒めなのか

いや、そもそもこの「可愛い子」は親から見て可愛いのではなく、客観的に誰が見ても可愛いのかが問題ではないか。

誰が見ても可愛かったら旅に出したら危ないやん。

襲われちゃう。
trackback*0 | comment*0 | 雑記
2018/10/04 (Thu) 14:16

この動画のRivenみたいに音楽を楽しみたい

そう思いました。

trackback*0 | comment*0 | 雑記
profil